ナントカ
偏った考え方で生き抜く
仕事はまったくできませんが、レスの速さだけでディレクターをこなしています

やまもの歴史

25才ぐらいまで、とにかくパチンコ・スロットの人生を歩む。圧倒的ヒキによって連戦連勝と敗戦を繰り返し、強靭(狂人)なメンタルを取得。

Webに目覚める。多分天職だった。フリーソフトでWebサイトもどきを制作。知っているタグは<a>タグのみ。これだけでWeb制作会社に入ろうとして止められた。

お金が無くなり、学びながらお金がもらえる職業訓練校に行くこと決意。最初はお金もらえてラッキーぐらいの感覚だったけど、今思えばこのあたりから一般的な常識が身に付き始めたような気がする。

半年の勉強期間を終えて、無事Web制作とSEOを知識をかじったぐらいに成長。ついでに職業訓練校の運営会社にアルバイトとして入社。ミスしても他責にしながら業務をこなす。

他責しつづけた結果、正社員としてお誘いがかかる。入社するしか道がなかったけど「いったん考えます」と自分は他にも道があるんだぞと意思表示を見せつけつつ、無事入社。

ブラックハットの代表格である外部リンクを作っている部隊を見て「カッコイイ」と思いながらSEOの内部施策書を作る日々が続く。

いつの間にか主業務とは別に、記事制作の業務を手伝うようになる。多分このあたりぐらいから業界としてコンテンツマーケティングの走りである記事制作が話題になってた気がする。主語と述語も分からない男が原稿見て思うことは「なんとかなりそう」だった。あまりにもクライアントに失礼。

「炎上」という言葉はあまり浸透していなかったが、炎上を何度か経験。周りの社員がどんどん辞めていくことにビビった。いつの間にか「やまもしかいねぇ。」みたいな状況になっていたけど良いように使われただけだった。

会社閉鎖。え!という感じでいくつかの選択肢がありながら、まっとうな選択をしたつもり。守秘義務なんてないけど、モラルだと思ってあえて割愛。

本格的に記事制作ディレクターで稼働。最初に始めたのは日経ビジネスを見て1日をスタートすること。とにかくジャーナリストが書いた常体(である・~~だなど)文章を見て、文章の感覚を身に着ける。ただし、納品する文章は敬体(です・ます)ばっかりだったから、そこの切り替えが難しかった。

コロナ禍になっても発注してくれる顧客に感謝をしながら原稿作成へ。このころから本当の意味でプロ意識が芽生えたような気がする。良くも悪くもコロナはすべてのキッカケを作ってくれた。

現在は記事制作ディレクターとしてライターや編集者と一緒に良い記事を作っては納品して作っては納品しての繰り返しの毎日。「もう記事いやだ~」と思いながらも、これしかないと思いながら仕事をする日々が少しだけ自分にあってるのかもしれない。